さわれる考古資料を作成して
民博のユニバーサル・ミュージアム展で展示したい

目が見えない人でも考古学に関心を持ってもらいたい。
そのために「さわれる考古資料」をつくる。そして大阪、国立民族学博物館で来年秋、開催のユニバーサル・ミュージアム展(誰もが楽しめる博物館)へ展示したい。

ユニバーサル・ミュージアム展
さわる!“触”の大博覧会

この展示は人類学的研究に取り組む全盲の視覚障害者(実行委員長:広瀬浩二郎)が中心となって企画・実施します。(会期2021年9月2日(木)~2021年11月30日(火))
現在、ユニバーサル・ミュージアムは単なる障害者対応、弱者支援という枠を超えて、国際的に注目されています。大学の学芸員養成課程のカリキュラム、博物館の職員・ボランティア研修などでもユニバーサル・ミュージアムを取り上げるケースが増えています。
来年秋の展示では各地の博物館・美術館の最新動向を踏まえ、ユニバーサル・ミュージアムの具体像を広く国内外に発信することを狙いとしており、博物館における「合理的配慮」の実践事例、あるいは障害当事者発の「ソーシャル・インクルージョン」(社会的包摂)の試みとしても注目されることを期待されています。

小さ子社ホームページより
https://www.chiisago.jp/mag/000/5/
https://www.chiisago.jp/mag/000/232/
2020年6月現在の民博の展示場。「非接触」を原則とする博物館では、多様なモノから触発されることはない。このまま、視覚偏重の博物館が続いてもいいのか。ポストコロナに向けて動き始めたミュージアム関係者は、あらためて「ユニバーサル」の意味を真剣に考えなければなるまい。

さわれる考古資料

〜埼玉県北本市デーノタメ遺跡出土縄文時代の漆塗腕輪〜

今回、ユニバーサル・ミュージアムへの出品するモノは縄文時代後期の漆塗腕輪の破片と考えられる考古遺物です。これを3次元計測器で測定し複製を作成、その複製を利用することで視覚的にも触覚的にも観察可能な資料を作成しました。

出土した腕輪の3D計測画像、作成小池雄利亜(株式会社Koike)

デーノタメ遺跡

この腕輪が発見された埼玉県北本市デーノタメ遺跡は台地から低地にかけて広がる縄文時代中・後期の集落遺跡です。湧水起源の沼沢地の名「デーノタメ」から遺跡名をとっています。遺跡からは乾燥した台地では出土することが難しい植物等有機質の遺物が残されています。これは、遺跡に低地が含まれていたためで、植物遺体、漆塗り土器片、木胎漆器等の遺物や、クルミ塚等の遺構が出土しています。
縄文人の「食」と「漆の利用」について考える上で良好な資料が豊富な遺跡です。

デーノタメ遺跡現況航空写真

デーノタメ遺跡の景観

第4次調査区2号クルミ塚調査

デーノタメ遺跡周辺の低地(昭和44年)

腕輪の破片?

さて、ここで紹介する遺物は長さ21mm幅9.5mm厚み5.5mmと、とても小さな考古資料です。最初に全体の形状の把握から。少し反り気味の断面楕円の棒に見えます。
 考古学者が縄文時代の腕輪と考えている遺物の破片です。(腕輪ではない可能性も捨て切れません)あまりに小さなものなので全体がイメージしにくいと思いますが、残存した破片の弧線を延長すると直径10cmほどの輪です。楕円であればもっと小さくなります。
輪の内側は大きく抉られていて、ここには竹ひごのようなもので作成した芯があったと想定しています。日本の埋蔵文化財は酸性土壌の中で有機物は腐食して残らないことが多いのでこの部分は失われたのであろうと思われます。
竹の繊維のようなものが見え、竹ひごをまとめるために何かを螺旋に巻きつけた痕跡だろうと考えます。

推定する腕輪のイメージ。装飾はまだ復元していない。

方形の剥離痕が見える方向より

内側の繊維の痕

3Dデジタル複製

表面は赤色の漆塗りで乾燥による破損の恐れがあるため、現在水漬けで保管されています。濡れた状態では観察しづらいので3次元計測技術を利用しデジタルデータを取り複製と拡大模型を作成しました。拡大縮小と縮尺を自由に選べるところがデジタルの利点です。

小さなものを拡大するということ

この3Dデジタル拡大複製品は、大きくすることで見やすくなる、見る目的で作った物ですが、作ってみると視覚障害者のかたにも触ってもらいたいという思いがでてきました。
この模型を触っていると、小さかった時にはわからなかった部分が認識できるようになってきました。一つは重み、遺物の重心がどこにあるのかわかるのです。具体的には側面のうちどちらが下になるか、縄文人が制作した時の上面がわかるようになりました。

拡大すると重心がわかる!

3倍に拡大して初めて、この遺物の重さを感じられます。実物の場合、かるすぎてどこに重心があるかわからない。(実は頑張ればこの大きさでも重心がどこかわかる)この遺物の断面は、「卵形」で卵形の太い方に重心があって、そちら側を下にするとテーブル上で立ちます。逆側はどんなに頑張っても立ちません。

写真:左が原寸大の複製、右がその3倍に拡大した複製
この向きだと平らな面で立つ。このことはもう一つの可能性も
示唆しているように思われる。それは平面の存在である。

何かわからない剥落痕

大きくしてわかること二つ目に、表面に残る何かの剥落痕です。それは細い仕切りで区切られた湾曲した溝で五つの窓状に連なります。この剥落痕が何に起因するのか考えます。

内側

CT画像 内側 一番膨らむ正中線は下より。

3D計測から得られた画像。
黒く影になっている部分に何かが嵌まっていたと思われる。
この図では上部が尖り気味の卵形、下側が太くて安定感がある。

ツノガイのこと

酸性土壌の中で溶けて無くなったものかもしれない。溶けるものは植物などの有機物、骨や貝殻などのカルシウムを主成分とする物が想定できます。
四角くて断面は弧状のモノ。縄文時代の装飾品の中でそのようなものは無いか、断面からすると筒状の何か。想定できるのは、ツノガイを加工したビーズその残欠かもしれない。ツノガイのビーズは縄文時代早期から晩期まで出土します。縄文人はかなり保守的でブランド志向であると私は考えています。だとするとあまり驚くような素材を使ってはいないのでは。縄文時代のポピュラーな装飾品、ツノガイのビーズは可能性高いのではと思います。
方法はわかりませんがこの貝を輪切りにしてビーズに仕立てる。そのビーズを作成するときに出た失敗品。その小片をはめ込んでいったのでは無いか。
ツノガイは名称どおり角のような形です。細い先端から太い根元まで貫通しておりヒモを通せば「管玉状」となります。この貝を加工したビーズが多数出土しています。この貝の破片を装飾として象嵌した可能性はないだろうか。
(ツノガイのことについては参考文献『貝の考古学』とコラムを参照。)

筆者がツノガイを採取した海岸

採取したツノガイ

ツノガイのビーズだとしたら

前述「拡大すると重心がわかる!」の部分で述べたように、この模型を立てて左右の破断面を観察すると右側は軸の中心が張り出していて左側は右と対照的に真ん中が凹んでいます。左右の断面の形状が違います。このことを考えてみます。欠ける部分は脆い部分だとすると、表面に近い部分から壊れていくと思われます。だとすれば右側のように中心部分が残るのではないか。なぜ左側は軸の中心から崩れているのか。
仮にツノガイのビーズの残欠を装飾に用いたとしたら、左側の壊れた部分は、何か丸いものが嵌っていたのではないかと考えています。そのように考えると若干左の破断面のほうが右側より大きいことがわかります。はばを計測すると9mmと8.7mm、0.3mmの差です。微妙ですがやはり左側に何か大きな丸いものが嵌っていたので大きさに違いが出たと考えられないだろうか。

市原市天神台遺跡出土(縄文早期・約7,000年前)ツノガイなど貝類の貝ビーズ
市原市教育委員会提供

ビーズの小口が嵌っていた
かもしれない

この遺物が腕輪だとして側面はツノガイの破片で装飾されていた。そして装飾部分が剥離したのでその部分の赤色の塗膜は残らない。ところがわずか一箇所だけ赤色が残る部分があります。一番左側、前述の丸いものが外れた箇所と四角いツノガイの破片が外れた痕跡の箇所に挟まれた部分です。反対側(右)はツノガイの四角い破片の象嵌が、続いていく。このことを考えると、四角い破片の象嵌が始まるのはこの左側の赤い塗膜が残る部分が始点と思われます。そしてその左側に丸いモノが嵌る。これはツノガイのビーズのこぐちを正面にしたモノではないでしょうか?
この一番左の側面がわずかに残る部分は、よく触ってみると嵌め込まれたものに押されたからか少し盛り上がりがあります。
ツノガイ象嵌は、まだ仮説の状態で断定できないけれど、この触察資料を作ることにより、多くの人にこの遺物のことを考えてもらいたいと思っています。

さわれる考古資料

大阪、国立民族学博物館「ユニバーサル・ミュージアム展-さわる!“触”の大博覧会」(誰もが楽しめる博物館)の企画者である全盲の人類学者、広瀬浩二郎さんに今回作成の拡大した「さわれる考古資料」と「拡大3Dレプリカ」を触っていただきました。そして「推理小説を読むような感覚で触察を楽しみました」「象嵌部分の触察が難しい」とコメントいただきました。その部分の観察は見常者でも難しいです。見常者という言葉は広瀬さんの造語で視覚障害者のことを触常者という語と対になっています。見常者の私でも、今回、腕輪の復元というミッションを与えられなかったならばこの小さな痕跡に気づかなかったでしょう。この世の中にどのくらいこのような小さな声を発するものがあるのか想像もつきません。この遺物と出会ったことは本当に幸運としか言えません。

なおこの腕輪の復元には北本市教育委員会と東京藝術大学「I LOVE YOU」プロジェクトより助成を受けました。

協力者

3次元計測、複製作成:小池雄利亜(株式会社Koike)機種/デジタイザー(smart SCAN-HE)(拡大模型が触察資料になるのではないかとアイデアを出した)
復元腕輪作成:中野稚里

文責:石原道知
東京藝術大学大学院文化財保存学専攻保存工芸研究室 非常勤講師

【参考文献】

  • 忍澤成視 2011『貝の考古学』同成社
  • 片岡太郎 上條信彦 弘前大学人文学部北日本考古学研究センター編2015『亀ヶ岡文化の漆工芸Ⅱ』六一書房
  • 広瀬浩二郎 2016『ひとが優しい博物館』青弓社
  • 北本市教育委員会編2019『デーノタメ遺跡総括報告書』(北本市埋蔵文化財調査報告書 第22集)
  • http://www.city.kitamoto.saitama.jp/bunka_sports/bunka/1545809512142.html
  • 広瀬浩二郎 2020『触常者として生きる』伏流社
  • 石原道知 荒木臣紀 宮田将寛 齊藤成元 中野稚里 磯野治司2020「埼玉県北本市デーノタメ遺跡出土縄文時代の漆塗腕輪X線CT観察事例報告」日本文化財科学会第37回大会研究発表要旨集
  • 広瀬浩二郎 2020 『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!』小さ子社

コラム

デーノタメ遺跡の貝象嵌釧について

考古学及び生物学的視点でのコメント
  • 有機質遺物に転写された形態、断面、サイズなどからみて、対象物がツノガイ類を半裁したようなものである可能性はある。ただし、同様の形状は鳥骨など管状の物体にもみられるので、これを否定するものではない。
  • いずれにせよ、植物質の本体に異質の物体を象嵌していた可能性があることが特筆され、象嵌であれば、本体と著しく色調、性質が異なるものほど視覚的効果が高いので、白を基調とする貝類であったとみれば合点がいく。
  • 注目すべきは、ツノガイとした場合、貝殻の全体を象嵌しているのではなく、数mmサイズのビーズ状に輪切り分断した個体を、さらに半分に割った「C」字状の個体であること。この意図を考えた場合、「ビーズ製作時の破損品の再利用」の可能性が指摘できるのである。
  • ツノガイ類を使ったビーズは、縄文時代早期・前期に全国的に流行した装身具であり、その素材貝が年代測定の結果、当時の現生貝ではなく、数万年前の化石貝が多いことが知られている。縄文時代の後期以降は、貝輪素材のベンケイガイ、垂飾素材のタカラガイ・イモガイ類など、当時の海岸漂着物利用が一般的であり、本来深海に生息するツノガイ類では、打ち上げ貝としての採取は困難である。したがって、南房総の平砂浦海岸に見るような局所的な集積は極めて稀で、他に類例は知られていない。
  • 現生貝と化石貝の大きな違いは、両者の殻質であり、前者に粘りがあって折れにくいのに対し、後者が外圧によって折れやすいことにある。細かいビーズ製作には、むしろ貝化石が適しているといえる。小型で多量の貝ビーズ流行の背景には、素材入手のしやすさ、加工のしやすさなどから、海岸部でなく内陸部の貝化石層中のツノガイ類を利用していた可能性が高い。
  • したがって、化石を利用した貝ビーズ製作の過程では、「C」字状の破損品が生じやすいので、この再利用を想定することは容易である。
  • また、同形態のものを連続して象嵌する中、所々に「〇」型のツノガイ小口を加えることで、腕輪デザインとしてはユニークな意匠が完成したものと考えたい。
市原市天神台遺跡出土(縄文早期・約7,000年前)ツノガイなど貝類の貝ビーズ
市原市教育委員会提供

天神台遺跡の貝ビーズは、ツノガイ類を主体とするものの、他にイモガイなどの巻貝、二枚貝など数種類のものが使われている。共通するのは、完成形を小さな「玉状」の物体に求めていること。類例は、東北、関東、中部、中国、四国、九州とほぼ日本列島全域に見られる。早期縄文人の強いこだわりが感じられ興味深い。

忍澤成視

市原市教育委員会ふるさと文化課/主幹(文化財担当)
日本考古学協会/早稲田大学考古学会/漂着物学会